余命 『快癒力』(篠原佳年・著/サンマーク出版/1996年刊

『快癒力』(篠原佳年・著/サンマーク出版/1996年刊



『快癒力』(篠原佳年・著/サンマーク出版/1996年刊)
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■ 病気になるのも捨てたものではない
自然治癒力という言葉を聞いたことがあると思います。
体には、医者や薬の世話にならなくても、きちんと癒すシステムが備わっているのです。
病気が治るのが自然治癒力だとすると、病気になるのは自然治癒力が弱まったときということになります。しかし、病気が治るだけが自然治癒力ではない。病気になるのも、実は自然治癒力なのです。

たとえば何か悪いものを食べたとします。食あたりで下痢をする、嘔吐をする。
これは見かけは病気です。しかし、私は下痢も嘔吐も自然治癒力だと思います。
なぜなら、下痢や嘔吐は、体に侵入した悪い食中毒菌や異物を早く体外に出そうとする作用です。
体をもとの健康体に戻そうとする意味においては、このような症状も自然治癒力と考えられるのです。

こういう考え方をすると、体が異変を起こしたとき、それをあわててもとに戻そうとするのは間違いであることがわかります。病気をすべて悪者にするのがおかしいのです。病気はどこかバランスがよくないことを教えてくれている。そしてバランスをとろうとしているのです。病気になったら、自分のどこがいけないのかを考えてみるという姿勢が必要です。

私のところへはリウマチ患者さんが大勢来られますが、私が前から気がついている不思議な事実があります。それは、リウマチにかかった人でガンを患う人はほとんどいないといってよいことです。ある病気になることは、別の病気を防ぐことであると考えれば、自分の病気への愛情も出てくるというものです。

 「病気を不運だと考えたり、不当だと考えることは治癒の妨げになる。
病気を成長のための贈り物だと見なせるようになったとき、治癒系のブロックがはずれ、治癒が始まるのだ」(アンドルー・ワイル著『癒す心、治る力』角川書店より)

実際に多くの患者さんに接していると、難病の人で地位、名誉、財産などに、こだわっている人は一人もいません。この人たちがとらわれていることは、ただ病気だけなのです。
病気が治ってしまえばどうなるのかはわかりませんが、少なくとも病気にならなければ「考えない」「わからない」ことが絶対にある。そういうことを考えるチャンスを与えるために病気が与えられるのかもしれないという見方もできます。

病気は自己を成長させるよいチャンスといえます。
人間は三日生死の境をさまようと聖者になれる、といいます。
病気になったら「自分を考えるチャンスが訪れた」と前向きにとらえることです。

私たちは病気について考えるとき、どうしても西洋医学的な考え方をします。
たとえば病気になる原因を考えるとき、ひとつは細菌を念頭におく。コレラはコレラ菌、赤痢は赤痢菌、エイズはエイズウイルスによって引き起こされると思っています。
肥満とか高血圧が成人病を招くというとき、脂肪が体内でどのようになり、血管がどうなるから高血圧になって‥‥と、すべて具体的な説明をされて納得する。そういう思考に慣らされているために「わけがわからないが治る」というような言い方は信用されません。

 「気」 は、信じる人間は信じるが、一般の人は、いざとなると検査づけ、薬づけと知りつつ、結局は現代医療の世話になってしまうのが現実ではないでしょうか。
だが、目に見えない世界というのが厳然と存在するという事実に、もう少し目を向けてほしいのです。
その世界を知ることが、病気にならないために、あるいは病気を治すために非常に大切なことなのです。


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